3日および7日の石原発言、および「東京都青年の家事件」について(追記あり)

都内のPTA団体などが3日、都青少年健全育成条例改正案の成立を求める要望書を都に提出した。石原慎太郎知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」と応じた。

http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20101204ddlk13010267000c.html

いうまでもなく同性愛者に対する許しがたい差別発言である。この男がこんな発言をしても今さら何の驚きもないけれど、少なくとも記事を読む限りではこの発言の場で誰も異議を唱えた形跡がなく、この記事自体にも知事のこの発言につき批判する文言が全くないことには、改めて絶望せざるを得ない。粛々とスルーされ続ける差別発言。日本って、酷い国ですね。
もちろん、一般的に日本の新聞は、こうした記事を書く際に「事実のみ述べる」スタイルに徹するのが通例だ。しかし、このような通例そのもの、こうした報道姿勢そのものが、繰り返される差別的発言に寛容な日本社会の土壌を作り出しているのだ*1。だから、このような報道は差別発言を批判しなかったという単なる不作為にとどまるものではなく、この記事自体が差別に対する加担であり、差別という社会現象の一部をなしている。
この記事を書いた記者に通例を越えて石原批判を行えと要求することは酷であるのかもしれない。しかしだからといって、「サラリーマンもつらいですなあ」とばかりにヤニ下がってこの記事を曖昧に許すことは、やはりできない。「記事自体が差別に対する加担であり、差別という社会現象の一部をなしている」という認識に立つ以上、許すこと自体もまた「差別に対する加担であり、差別という社会現象の一部をなしている」と考えざるをえないからだ。
 
…と昨日の時点でここまで書いてなんとなくアップせずにいて、下書きのまま放置していたところ、上の記事を書いたのと同じ記者(真野森作記者)による続報が先ほど入ってきた。

石原慎太郎知事は7日、同性愛者について「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」と発言した。(略)[3日の発言]の真意を確認する記者の質問に答えた。
7日の石原知事は、過去に米・サンフランシスコを視察した際の記憶として、「ゲイのパレードを見ましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」と話した。同性愛者のテレビ出演に関しては、「それをことさら売り物にし、ショーアップして、テレビのどうのこうのにするってのは、外国じゃ例がないね」と改めて言及した。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101208k0000m040122000c.html

知事のこの発言自体については、石原慎太郎は一刻も早く我々の視界から消え、忘却の彼方に沈み去ってほしいという以上に何も言うことはない。
問題は上で述べた報道姿勢についてだが、考えを修正する必要があるかもしれないと思った。大新聞の通例的報道姿勢の枠内において、この記者はよくやったと考えるべきかもしれない。ここまで書けば、ぎりぎりで批判的意図は伝わってくる(最初の記事でも、知事の発言を報道したという点で最小限の「この発言を問題にする(看過しない)」という意図を汲み取ることは可能だった)。
しかし、やはりこれでは微温的に過ぎるとも言わざるをえない。というか、この記事は逆説的に「これ以上書けない」という大新聞の限界を露呈したようにも見える*2これは足りない。足りなすぎる。このような微温的な言い方を超えて、私たちは石原にNOというべきだ!
もう石原の任期は半年も残っていないが、石原は辞めろ!と声を大にして言っておきたい。
 
もう一点。
実はこのエントリーを書こうと思ったのは、「東京都青年の家事件」のことを思い出した*3からだった。この事件が起きたのは1990年、この事件において差別された動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)*4が東京都を訴えて最終的に東京高裁で勝訴判決(確定)を勝ち取ったのは1997年9月16日である。もう13年も前の話だ。
石原知事がここで述べている認識は、同性愛者に対しひどい差別的発言を投げかけた利用者や、差別的取り扱いをした都職員のそれとまったく同一である。このような人間が東京都知事をやっていていいのか。また、毎日新聞の真野森作記者はせっかくならこの事件に言及しつつ知事を問い詰めてほしかった。
改めて、人間として最低の恥知らずなばかりでなく、知事としての資質ゼロの石原は辞めろ!と声を大にして言っておきたい。
 
[12月8日追記]
同じ毎日新聞の石戸諭記者が、12月8日付けで以下のようなコラムを書いている。

「テレビにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている」。石原慎太郎都知事の発言だ。毎日新聞の都内版で小さく報じられている。事実ならば同性愛者差別であり、本物の失言だ▲インターネット上では既に多くの読者が批判している。これは漫画、アニメなど架空のキャラクターによる性描写規制で賛否が分かれる「都青少年健全育成条例案」を巡る発言だ。安易な規制の先に何が待っているか。危惧したのは僕だけじゃないはずだ。

http://mainichi.jp/area/okayama/dango/news/20101208ddlk33070618000c.html

当たり前の指摘をしたに過ぎないが、やはり石戸記者(およびこの記事を通したデスク)は偉いといわなければならないだろう。
最低限これくらいは書けなければジャーナリズムの名に値しない。

*1:もしかしたら、社説なりで石原発言を批判しているのかもしれないが…そうだったらごめんなさい。

*2:いや、もしかしたら、社説なりで石原発言をけちょんけちょんに批判しているのかもしれないが…そうだったらごめんなさい。

*3:こちらも参照。http://www.ne.jp/asahi/law/suwanomori/special/supplement3.html

*4:公式サイトはこちら http://www.occur.or.jp/