「相手を不快にする権利」、一応の結論

1.経緯

まず、手短にこれまでの経緯を説明する。知っている方は飛ばしてくださってかまわない。
 
(1)ジャーナリストの烏賀陽(うがや)弘道氏が、

言論の自由には、相手を不快にする権利も含まれる。(1964年のアメリカ連邦最高裁裁判所判決)

http://twitter.com/hirougaya/status/2980882499510272

とツイートする。 (11月11日)
(2)私、はてなハイク経由でこのツイートを捕捉。その意味するところにつき疑問を感じ、「1964年のアメリカ連邦最高裁判決」に直接あたって確認する必要を感じる。なお、その判決はおそらくNew York Times Co. v. Sullivan,376 U.S. 254(1964,サリバン事件判決)だろうと推測するも、確定不能*1(同12日−13日)
(3)私、ツイッターアカウントを取得し、1964年のアメリカ連邦最高裁判決とは具体的にどの判決をさすのかにつき、烏賀陽氏に質問するも、拒否(罵倒)され、本人に直接確認する手法を断念。とりあえずできることとして、サリバン事件判決を読んでみることにする。(同15日)
(4)以上の経緯につき報告するエントリーをこのブログにアップする。同日中に、同エントリーのコメント欄にてサリバン事件判決の日本語訳の存在を教えていただく。(同17日)
(5)「途中経過」エントリーをアップしつつ、ぼちぼち原文を読み始める。(同21日−22日)
(6)サリバン事件判決の日本語訳を入手。(同30日)
 
…というのが、このブログ上で報告してきたこれまでの経緯である。見ればわかるように今月に入ってからパッタリ進行が止まってしまっていた。サボっていたというのもあるが、せっかく入手した日本語訳が、翻訳としてかなり完成度の低いしろもの*2で、結局原文と訳文を突き合せつつゆっくり読み進める羽目になった、ということもあった*3
ともかくこのようにして一応判決全文を読み終えたのが、三日前(12月22日)のことだった。
 

2.サリバン事件判決にそのような文言はあったか

それでまず結論を言うならば、同判決文において「言論の自由には、相手を不快にする権利も含まれる。」などと言っている箇所はなかった。同判決についてはいずれ別エントリーにおいてダイジェストしたいと思っているが、ここではこれ以上触れない。
では、烏賀陽氏の言葉は間違いなのだろうか。
確実にそう言えるわけではない。というのも、烏賀陽氏のツイッターの元発言は「1964年のアメリカ連邦最高裁判決」とのみ言っていて、それがサリバン事件判決を指しているとは限らないからだ。1964年に出された別の連邦最高裁判決がそのような文言を含む可能性は残されている。そして、1964年に出された連邦最高裁の判決をすべてチェックするのはきわめて困難(事実上不可能)である。
 
それでは、結局、真偽不明という結論にならざるを得ないのだろうか。
一面においてそうなのだが、別の面から見れば、そうでもないのである。
 

3.合衆国憲法判例上における「不快な言論」

じつは、合衆国憲法判例上、「不快な言論」(offensive speech)という論点が存在する。

 不快な言論
 難しいのは、表現が(略)聞き手にとって不快である場合に、表現制約が許されるかである。いわゆる不快な言論(offensive speech)の問題である。
 典型的にこの問題を提起したのは、Cohen V. California, 403 U.S.15 (1971)である。これは、裁判所の回廊で「徴兵なんかくそくらえ」(fuck the draft)と書いたジャケットを着て歩き、不快な活動によって平穏を乱すことを禁止した州法の下で起訴された事例であった。最高裁は、本件処罰がもっぱら言論を処罰するものだと認め、本件表現は猥褻的表現*4にも喧嘩的言葉*5にも該当せず、単に不快だと思う人がいても表現制約は正当化されず、もっと特定的でやむをえないような理由がない限り制約は許されないと判断した。

松井茂記アメリ憲法入門[第2版]』有斐閣(初版1989、第2版1992) 160−161ページ

州の主張によれば、コーエンは、刺激的かつ不快な言葉で反戦のメッセージを伝達することによって他の市民の安寧を乱すことがなかったならば、好きなようにそのメッセージを表現できたということである。この主張を退け、連邦最高裁は、コーエンのメッセージを彼がそれを表明するために選んだ言葉と不可分だと考えた。連邦最高裁によれば、言葉による表現は、「認識させる力」と同じくらい「感情に訴える力」を持ち、コーエンの選んだ言葉は、他の言葉では伝達できない感情の深さを伝えていたのである。「われわれは、思想を抑圧するという実質的な危険を冒すことなく、特定の言葉を禁止することができるという安易な想定に満足することはできない」という。
 Cohen判決に関しては、たとえその結論が不快なものであったとしても、その理由付けはきわめて説得力のあるものである。すなわち、第1修正は、意見を表明する権利と不可分なものとして刺激や不快感を与える権利を保障しているということである。
リチャード・H・ファロン・Jr『アメリ憲法への招待』平地秀哉/福嶋敏明/宮下紘/中川律=訳 三省堂(2010) 43−44ページ 強調引用者 

以降、同様の判示が繰り返され、合衆国において確立された判例法となっているようだ。ここでいう「不快」とは、受け手にとって何かしら攻撃的な色合いを持つが喧嘩を売っているとまではいえない、という程度の意味である。
 
つまり、烏賀陽氏の言うように1964年に出されたものでこそないが、少なくとも合衆国連邦最高裁は「不快な言論」は言論の自由に含まれる、とはっきり言っているのである。この意味で、烏賀陽氏のツイートは完全な虚偽であるとは言えないのだ(「不快にする権利」という用語選択の適切さ如何は措く)。
 

4.ヘイトスピーチ言論の自由

それだけではない。
そもそも私が烏賀陽氏のツイートにこだわったのは、これが「ヘイトスピーチ言論の自由に含まれる」と読まれかねないという問題意識があったからだ。しかし、合衆国の判例においては、「ヘイトスピーチ言論の自由に含まれる」らしいのである。

 …連邦最高裁のアプローチは、言論の自由が普遍的人権として持つべき内容に関するコンセンサスを反映しているに違いないと考える者もいるかもしれない。しかし、このような考え方は間違いであろう。合衆国は、多くのリベラル・デモクラシー国家よりもはるかに手厚く言論の自由を保障しているのである。最も顕著な例を挙げれば、多くのリベラル・デモクラシー国家は、人種的憎悪を煽る言論を禁止する義務を締約国に課す国際人権条約を批准している*6。合衆国は、同条約の起草に参加していたものの、第1修正に違反するということを主な理由にしてそれを批准していない。アメリカの言論の自由法理は、人種的憎悪を煽るような言論を抑えるどころか、ほとんどの場面で人種差別的発言を第1修正による保護の範囲内としている。
ファロン前掲書31−32ページ

「人種差別的発言を第1修正による保護の範囲内とし」た例としては、人種差別団体であるクー・クルックス・クラン(KKK)の指導者が集会で白人への抑圧を続ける政府への「報復」を主張して起訴された事例*7において州法を憲法違反とした上で有罪判決を覆したBrandenburg v. Ohio, 395 U.S. 444 (1969)判決*8や、「偏見を動機とした犯罪に関する条例」を違憲としたR.A.V. v. City of St.Paul, 505 U.S. 377 (1992)判決*9などがある。
前者の判決について、ファロンは以下のように述べる。

皮肉なことかもしれないし、そうではないかもしれないが、ブランデンバーグ・ルール*10の恩恵を受けた最初の人物は、人種的・宗教的少数者への憎悪を煽ったKKKのメンバーであった。本章の冒頭で述べたように、合衆国以外のほとんどのリベラル・デモクラシー国家は、人種的・宗教的憎悪を煽る言論を範疇化し、禁止してきた。これにならって、合衆国の連邦最高裁も、人間の平等性という憲法の基本的な前提と矛盾するという理由で人種的・宗教的憎悪を煽る言論を第1修正によって保護されないものとして取り扱うこともできたかもしれない。しかしながら、Brandenburg判決は、そのような範疇化を行わなかった。連邦最高裁は、Brandenburg事件で問題になった言論が広い意味で政治的であり、それゆえ保護に値すると考えたのかもしれないし、事実に反することではあるが、「悪口は害を与ええない」と考えたのかもしれない。
(略)
 …Brandenburg判決は、ホームズ裁判官*11の言う「私たちの憎む考え」*12を表明する自由が、現在、第1修正によって保護される範囲を鮮やかに描き出している。Brandenburg判決が30年以上にもわたって今でも法として通用しているのは、次のような広く共有された文化的なコミットメントを反映しているからである。そのコミットメントとは、たとえ保護することによって、明白な損害―例えば、ブランデンバーグの発言のような憎悪を煽る言論のターゲットとなる人びとの被る損害―や社会全体へのより広範な脅威が生じるものだとしても、政治的と言いうるかどうかかなり疑わしい思想の表明をも保護するというものである。
ファロン前掲書40−41ページ

 

5.結論

以上をまとめると、
(1)サリバン事件判決において「言論の自由には、相手を不快にする権利も含まれる。」と言っている箇所はない。
(2)しかし、連邦最高裁判例上「不快な言論」(offensive speech)は言論の自由により保護されるとされている。
(3)それどころか、ヘイトスピーチ言論の自由により保護されるとされている。
(4)したがって烏賀陽氏のツイートは、「1964年」という年代の点では疑問が持たれるが、連邦最高裁判決(判例)が「言論の自由には、相手を不快にする権利も含まれる。」と言っているという点では(「不快にする権利」という用語選択の適切さ如何は措くとして)、間違っていない。
ということになる。
 

6.個人的な意見

烏賀陽氏のツイートから始まった「相手を不快にする権利」と連邦最高裁判決の問題についての調べはとりあえずこれで一段落ついた。
しかし、先に少し触れたように、私がこの問題にこだわったのは自分自身の問題意識(ヘイトスピーチ表現の自由)があってのことである。そして、その問題意識において最終的な結論がみいだされたわけでは全くない。合衆国連邦最高裁判例では「ヘイトスピーチ言論の自由により保護される」とされているという事実が分かった、というに過ぎない。何度か引用したファロンの文章によれば、この事実には少なくとも二つの留保がつく。
 
(1)「合衆国以外のほとんどのリベラル・デモクラシー国家は、人種的・宗教的憎悪を煽る言論を範疇化し、禁止してきた。」
(2)「Brandenburg判決が30年以上にもわたって今でも法として通用しているのは」一定の「広く共有された文化的なコミットメントを反映しているからである。」
 
すなわち、合衆国における特殊な文化的傾向抜きにはこの法理は説明できないということである。
そして、ファロンの文章では言及されていないが、
 
(3)現在では合衆国においても「ヘイトスピーチ言論の自由により保護される」とする判例は強い批判にさらされている、
 
ということも指摘できる。この点についてはまだ勉強不足だが、いずれ何らかの形でエントリーを上げられればと思う。
 
なお、既にお分かりのとおり、本エントリーにおいては主に二冊のアメリカ合衆国憲法の入門的概説書を参考にした。
一冊は、日本の憲法学者で合衆国憲法を専門領域のひとつとする松井茂記氏によるもの。
もう一冊は、「ハーバード大学ロー・スクールの教授で著名な憲法学者であるリチャード・ファロンが、法律の専門家ではない人に向けて、アメリ憲法の内容や歴史を分かりやすく解説したアメリ憲法の入門書」*13である。

*1:このあたりの経緯については、以下参照。 http://h.hatena.ne.jp/kmizusawa/9234099147025964325 http://h.hatena.ne.jp/quagma/9234081556510069963 http://h.hatena.ne.jp/tari-G/9234099151850702082 http://h.hatena.ne.jp/quagma/9258657843874465442 http://h.hatena.ne.jp/quagma/9234099159955893907

*2:誤訳だらけの上、日本語の体をなしていない部分も多い。複数の人間に訳させたものをチェックせずにそのまま出したのでは、と疑わせるような前後不統一なミスも散見された。

*3:とはいえ、そんな訳文でも手がかりとしてはけっこう役立った。というか、以前「私ていどの語学力の人間でも、辞書さえあれば何とか読んで大まかな意味は取れる」(http://d.hatena.ne.jp/quagma/20101122/p1)などと書いたが、実際には相当に難解な箇所もあり、全部を自分の力だけで読解するのは困難だったと思う。

*4:合衆国の判例上、「言論の自由」の範囲外として憲法により保護されないとされている。Chaplinsky v. New Hampshire, 315 U.S. 568 (1942)

*5:fighting words. 「表現が実質上聞き手に喧嘩をうっているのと等しい場合」(松井後掲書160ページ)を指し、合衆国の判例上、「言論の自由」の範囲外として憲法により保護されないとされている。Chaplinsky v. New Hampshire, 315 U.S. 568 (1942)

*6:人種差別撤廃条約(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/conv_j.html)第4条参照。ちなみに、日本は同条約に加入しながら、第4条を留保している。こちら(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/top.html)のQ6参照。

*7:松井前掲書145ページ

*8:ただし、この事件の被告人ブランデンバーグは人種差別的発言をなしたがゆえに起訴されたのではなく、「政府への『報復』を主張」するという煽動的言論をなしたがゆえに起訴されたのである。したがって、同判決は必ずしもヘイトスピーチ言論の自由により保護されることを述べたものではない。あくまでも「副次的に保護された」(ファロン前掲書44ページ)にとどまる。

*9:この事件においては、KKKが迫害の相手を威嚇する表現として用いてきた「十字架焼却」(cross burning)行為の処罰が問題となった。後年、連邦最高裁はVirginia v. Black, 538 U.S. 343 (2003)判決において同様の行為を処罰する州法を合憲と判断しているが、これは州法の規定ぶりが異なるためであって、判例変更したのではない、と連邦最高裁は明言している。

*10:Brandenburg判決において初めて提示された、「実力行使や法律違反の唱導を禁止または規制できるのは、それが即時的な違法行為を刺激または生み出すことを目的にし、そのような行為を刺激または生み出す可能性がある場合に限られる」という原理(ファロン前掲書39ページ)。

*11:Oliver Wendell Holms Jr. 1902年から32年まで連邦最高裁判事。歴代の連邦最高裁判事の中でも傑出した人物としてきわめて名高い。「思想の自由市場」論の提唱者としても知られる。

*12:United States v. Schwimmer, 279 U.S. 644, 654-55 (1929) ホームズ裁判官反対意見

*13:ファロン前掲書鄴ページ、阪口正二郎氏による冒頭の紹介文「本書を手にしたみなさんへ」より