日の丸と燃える十字架

昨日アップしたエントリーブコメで、国旗に言及する方がいた。
私も日本で十字架焼却に類比すべきものを挙げるとしたら日章旗(日の丸)しかない、と考えており、下書きの段階では「ナチの*1十字」に言及した後でその点にも触れようと考えていた。
ところが、続けて「いわゆるふつうの人たちが無邪気に日の丸にコミットするカルトな日本社会…」というようなことを書こうとして、「いやしかしカジュアルに国旗が呼び出されることは他の国でも珍しくないのでは?」「無邪気な日の丸へのコミットという一事をもって日本社会が他国の社会と比べてカルト的、というのはやっぱり安易だろう」「ところで他国の国旗と比べて日の丸は特殊だといえる側面を持っているのだろうか?」「国旗の下にさんざんあくどいことをやったのは日本に限らないわけで…」「いやいや、悪しき一般化いくない!!」などと思考が迷走して収拾がつかなくなり、文章もダラダラと冗長に肥大化した。そこで、この点について書いた部分は削除してアップしたのだった。
しかし最近目立つようになった排外主義的な団体が、排外主義的・人種差別主義的主張を掲げつつ日章旗を押し立てるのを見ていると、まさに日の丸を「憎悪の象徴」として用いてると言わざるを得ない*2
 
そもそも、日章旗を国家を象徴する旗として採用したのは明治に成立した大日本帝国である。
ちょっと雑な書き方になってしまうが、今ある「国家としての日本」の大枠を決めたのはこの大日本帝国=明治体制だといっていいだろう。明治体制は、内*3に向かっては天皇制・国家神道廃藩置県・法制度・官僚制・軍制・教育制度・土地制度などを通じて統合を、外に向かっては琉球・台湾・朝鮮・「満州」・「南方」と拡張的な植民地化を、暴力的に押し付けた*4。このような体制が、統合と拡張のシンボルとして、つまりその道具として「日の丸」を選び、実際にそのようなものとして利用しつくしたのである。また、「日の丸」は、このような大日本帝国体制の扇の要としての天皇制と、分かちがたく結びついたものでもある。
第二次大戦における敗戦を経て、国家は「日本国」と名を替え、大日本帝国を支えたいくつかの制度は解体させられ、多くの植民地は放棄させられた。とはいえ、「象徴」としての天皇制が温存されたことに「象徴」的なように、その解体はほとんどが中途半端なものに終わった。それが戦後の日本経済の大躍進の欠かせない前提となったという見方もあろうし、そうした面があることは否定しきれないとも思うが、やはり私は、このことが現在の日本に多くの禍根を残したと思う。
私たちはいまだに明治を超えられていない。もちろん先験的に「超えなければならない」ということはできない。しかし、私たちが戦後ずっとそうしてきたように、このような体制をあいまいに許すのは、違うだろう。まずは、彼らが実際に何をやったのか、直視しなければ。だが、じっさいのところ、現在の日本社会は「明治をあいまいに許したい」という欲望にまみれている。見てないからよく知らんが、竜馬伝なんか見て喜んでる場合じゃない。私は「基本あいつら*5敵だろ」と思ってるし、こうした雰囲気の充満する現在の日本社会はとてもキモイと思っている。
明治から継続して「国旗」であり続けた日章旗=日の丸も、このように認識される現在の日本の「象徴」である、と私は考える。こうした見方からすると、単純に日の丸も燃える十字架と同じく「憎悪の象徴」である、というのは少し違うかもしれない。もしかすると、「憎悪の象徴」よりもっと悪いものというべきなのかも。
ただ、日の丸という「象徴」により象徴されるものは、憎悪をもその内容として含んでいる、とは思う。その意味でなら、日の丸もまた「憎悪の象徴」だといっていいだろう。
 
「いやすべての国旗・すべてのシンボルは不可避的に負の象徴たらざるをえないのであって…」という声もするようである(内なるコンフォーミストの声)。しかし一般論に逃げてはいけない。私たちの目の前にあるのは、燃える十字架ではなく、日の丸なのだから。
 
というわけで、私は日の丸は嫌いである。であるので、当然、「日の丸・君が代」は「慣習法として確立していた」から「式典への出席者に対して、一律の行為を求めること自体に合理性が」あるとして、強制通達は教職員に「重大な損害を生ずるおそれがあり、かつその損害を避けるために他に適当な方法がないとはいえない」と述べたという1月28日付の東京高裁判決は大いに気に食わない。判決文そのものは読んでいないが、糞食らえ、といっておく。
 
[追記]
ブコメでみつどん氏にご教示いただいた。こちらに「日の丸のこれ以上ない正しい使用法を見た」との常野氏の言葉が載っている。
リンチ上等と反日上等 - 地を這う難破船

*1:2月14日に誤字に気がついたので修正した

*2:常野雄次郎氏などは、在特会メンバーに日章旗の旗ざおで殴られたとき、いみじくも「日の丸の正しい用法」と言っていた。と思って常野氏のブログを「日の丸」で検索して見たがそのような発言は見つからなかった。http://d.hatena.ne.jp/toled/searchdiary?word=%C6%FC%A4%CE%B4%DD しかし「日の丸は…わるいヘイトを ぐたいかしたもの」(http://d.hatena.ne.jp/toled/20100104/p1)と言っているのはまさに「憎悪の象徴」とほぼ同義といっていいだろう。なお、追記も参照のこと。

*3:とはいえ、少なくとも発足当初の明治体制が薩長を中心とした寡頭制的な軍閥政権としての性格を持っていたことを思えば、たとえば戊辰戦争で制圧された奥羽越の諸藩を「内」と言い切ることにはためらいを感じる。まして、琉球‐沖縄やアイヌモシリ‐北海道においてをや。

*4:というか、もちろんこれらの制度は植民地化の過程において大活躍したし、前の註で述べたように「国内」の統合じたい、一種の植民地化として観察されうるものであったろう。

*5:明治の元勲とか