「黒い彗星」氏の行為は在特会の表現の自由に対する不当な侵害であり、許されないか

事実

12月4日渋谷で、小さな横断幕を手に取った一人の若い男性(ウェブ上では「黒い彗星」との呼称を付されている*1)が、「在特会」のデモ行進の前に飛び出した。
「ヘイトスピーチに反対する会」のサイトの記述によれば、「それにたいして、排外デモ参加者のひとりがすぐさま飛びかかり、かれと接触するやいなや、ほかの排外デモ参加者たちもいっせいにかれを囲み、袋叩きにし」たところ、「しばらくして、渋谷警察はかれを排外デモから引き剥がし、『保護』と称してかれを渋谷署に連行し」たが、「取調室に到着するや、前言をくつがえして『暴行による現行犯逮捕だ』とかれに告げ、そのまま署に勾留した」ということらしい。事実の経過については、こちらも詳しい。
また、その一部始終はビデオカメラにより撮影され、ウェブ上にアップされている。
 

問題の提示

「どちらが先に殴りかかったか」については、このエントリーでは問題にしない。警察による逮捕・拘留の不当性について*2も、ここでは書かない。
私がここで書きたいのは、当エントリーのタイトルにもあるとおり、「『黒い彗星』氏の行為は在特会表現の自由に対する不当な侵害といえるか」という点についてである*3
 
今回のような事件はこれまでにもあった*4わけだが、こうしたカウンターデモ的な直接行動に対して常に示される懸念として、以下のようなものがある。いわく、「たとえ誰がどう見ても『悪い』主張をするデモであっても、その前に立ちふさがるようなことは表現の自由に対する侵害であり、許されない。」といったものである。
今回もそうした考えが述べられている。

黒い彗星氏が結果を予期して歩道から車道に出たとしたならば、デモの妨害を企図したという(在特会|修平|排害社)の主張は「ある程度は」正当性を持つし、ましてや正面ならばその正当性は増すだろう。
僕の意見をいうなれば、彼には歩道から出ないで欲しかったと思う。彼らのデモが許可をされている以上やはりそれがどんなふざけた意見であってもデモ自体は滞り無く行われるべきであり、そのデモは直接的にストップさせるのではなく、その主張を相手にしないという方法で葬るべきだと思うんだ。

miraclemiracle.net

表現の自由」といった言葉は用いられていないが、おおむね上に挙げたような考えと同趣旨を述べるものと考えられる。
 
確かに、今回の黒い彗星氏の行為が全く「デモの妨害」といった性質を持たないとは言えないだろう。しかし、それは不当な妨害だろうか?表現の自由に対する許されない侵害なのだろうか?私は前からそのことを疑問に思っていた。そのことにつきここで考えてみたいのである。
 

前提

まず、前提として、「たとえ人種差別主義的な発言(いわゆるヘイトスピーチ)であっても、憲法の保障する表現の自由の保護の範囲に含まれる」という立場をここでは採用することとしておく。
ちなみに、これはありうる立場ではある(必ずしも非常識な立場ではない)が、いまのところ世界じゅうの誰もが同意する原則とはなっていないようである。例えば、日本も加入している人種差別撤廃条約第4条は、こうしたヘイトスピーチを法律で処罰すべき犯罪となすことを明白に締約国に求めている。

第4条
 
 締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。
 
(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。
 
(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。
 
(c)国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと。

しかし、ここではこの条約に表されるような立場を採らない。繰り返しになるが、「ヘイトスピーチ憲法の保障する表現の自由の範囲に含まれる」とする立場に立つものとする。アメリカ合衆国*5においては、こうした立場が支配的なようである*6
 

検討

では、そのような立場に立ったとき、人種差別主義的な主張をするデモの前に立ちはだかり(または座り込んで)デモの趣旨に反対する内容のメッセージを掲げる行為は、デモに対する不当な表現の自由の侵害であり、許されないこととなるのか。
 

(1)妨害になっているか

すでに述べたように、確かに少しはジャマしている。全く表現の自由が侵害されてないとは言えない。しかしこれを許されない妨害というのは言いすぎだろう。なぜなら、彼をよけて進むことはたやすいからだ。一人しかいない*7のだから、それはもうほんとうに簡単だろう。よけて粛々と行進を続け自分たちの思うところを存分に主張し続ければいいだけのはなしだ。つまり、こうした行為は実質的には妨害としては甚だ微弱なものにとどまるのである(「妨害」した人にとっては不本意かもしれないけれど)。

(2)行為自体も表現ではないか

また、こうしたカウンターデモ的行為自体が、「表現の自由」により保護されるりっぱな表現行為でもある。「対抗言論」というやつだ。既に述べたように実質的には妨害としての意義はほとんどないのだし、単なる妨害行為としか見ないのは偏ったものの見方ではないのか。それどころか、「表現の自由」信奉者的には、これは不当な妨害行為というよりも、丁々発止の議論にも似たたいへん美しい光景ということになりはしないか。「表現の自由」が憲法により保障されるべきという考えの背後には、相容れない考えどうしの間で交わされる自由な議論によって主張が磨かれ(もしくは悪しき考えが淘汰され)、より妥当な方向に近づいていく、といったヴィジョンがあるわけだから*8。だからこそ、「悪」としか見えない主張だって保護されなければならないわけで。

(3)問題自体の妥当性

さらに、たとえば上に挙げたブログエントリーでは「彼らのデモが許可をされている以上やはりそれがどんなふざけた意見であってもデモ自体は滞り無く行われるべき」なんて言っているけど、そもそも当局に「許可」されなくてはデモもできないという時点で表現の自由はかなり制約されてしまっているのである*9
憲法による保障の本来の名宛人である公権力による制約を安んじて受け入れつつ、たった一人か二人の「妨害」を問題視するというのは、端的に言って倒錯としか思えない。こうした考え方が問題視しているのがほんとうにデモ参加者の表現の自由の行使に対する「妨害」なのか、いぶかしく思う。むしろ、自由な権利行使を危険視する警察チックな考えから、秩序に対する「妨害」に憤っているように見えなくもない。要するに、秩序を乱すことなくお上の指示に従って粛々と乱れることなくなされていた「デモ」が、悪辣な(あるいは馬鹿な)闖入者によって一気に無秩序へとなだれ込んでいくことが気に入らないのじゃないか。
上に引用したブログ記事の筆者は、深く読み込むまでもなくあからさまにそう言っている。「彼らのデモが許可をされている以上やはりそれがどんなふざけた意見であってもデモ自体は滞り無く行われるべき」。
ところでこの言い方は「許可」されなければ必ずしも「滞り無く行われる」必要もないと言っているようにも取れる。これは「表現の自由」を尊重する立場からはちょっと受け入れがたい考え方だ。自由は規制に先行するのだから。すると、上で私が「『表現の自由』といった言葉は用いられていないが、おおむね上に挙げたような考えと同趣旨を述べるものと考えられる。」と書いたのは読み間違えということになる。なんてこった。私は間違えた!このブログ記事を書いた人はそもそも表現の自由を尊重する立場に立っているか怪しい人だったのだ。例が適切ではなかった。
そこで改めて考えるに、「表現の自由」を錦の御旗に「妨害」行為を非難する人はどうなのか。はたしてそうした考えとは完全に無縁であるのか。まあ他人の心の中のことは分からないけれども、少なくとも「表現の自由」の捉え方があまりに硬直的なのではないか、とは思う。
粛々と行進して自分の主張を穏当に(「一般人」の迷惑にならぬ程度のやり方で)伝える行為が少しばかり予定通りに進まなかったからといって、そんなに色めきたつ必要があるのか。むしろデモ側としても、自分の表現行為に張り合いが出ようというものではないか。どっちかといえば嬉しいくらいではないのか。事実、動画を見ると「黒い彗星」氏の登場に対し、デモ参加者たちは「喜んで殴りに行っている」ように見える…いやいや他人の心のうちは分からないとさっき書いたばかりだった。少々書きすぎた。
繰り返すが、((1)(2)で述べたことがそもそもそういうことなのだが)このような問いを発する者は、「表現の自由」の捉え方があまりに硬直的なのではないか。警察目線に堕しているとまでは言えないにしても、アクシデントを嫌う権力的な予定調和にあまりに馴れきってはいないか。

(4)挑発的行為として許されないのではないか

そうそう、もう一点付け加えるならば、「黒い彗星」氏の行為はあえて相手の暴力を呼び起こそうとする悪辣な(もしくは、暴力の可能性に気づけない馬鹿な)挑発である、という主張もあった(この主張は先に殴ったのがデモ側であることは前提としていることになる)。表現の自由をめぐる議論に引き付けて言うならば、そのような挑発が表現の自由に対する侵害を構成する、あるいは表現の自由により保護されるに値しない、となろうか。
前者は、あまりにばかばかしすぎて検討するまでもない。殴るやつが悪いに決まっている。
後者についてはどうか。「黒い彗星」氏の行為は「隊列の前に進み出て言葉の書き付けられた紙(布)を拡げる」というものであって、これ自体はごく普通の表現行為とみなしうる。問題はそれに何が書いてあったか*10で、書かれていた内容が例えばひどく侮辱的なものだった場合には、「保護されるに値しない行為」という評価も一定の説得力を持つかもしれない。いや待て。そもそも論の前提が、「ヘイトスピーチ憲法の保障する表現の自由の範囲に含まれる」という立場に立つというものだったはずだ。やはり後者も成り立つまい。だいたい、もともとの在特会の主張(存在)そのものが「在日」や外国人に対する攻撃・侮辱・中傷のオンパレードなのだから、それに対するカウンターを挑発だからうんぬんと論難すること自体、最初からおかしいのだ。
なお、この文章は、基本的にこのような行為が表現の自由に対して持つ意味を検討の対象としている。戦術論としての是非には立ち入っていない。戦術として駄目、といった反論は受け付けない。
 

まとめ及び結論

少し蛇足も述べたが、以上を短くまとめると、「黒い彗星」氏的な行為は、(1)そもそもほとんど妨害してない、(2)それどころか表現の自由の行使としてすばらしい、(3)この行為を非難する立場はむしろ秩序を重んじる公権力の立場に近いんじゃないか、もしくは表現の自由をあまりに硬直的に捉えてないか、(4)挑発だとしても何も問題ない、となる。
したがって、私の結論は、「黒い彗星」氏の行為は在特会表現の自由に対する不当な侵害とはいえず、むしろ表現の自由の堂々たる行使であり、表現の自由を何よりも尊重する立場からすれば、むしろ推奨されるべき行為であって、このエントリーのタイトルとしたような問いは全くのナンセンスだ、というものである。

[追記]
ところで、この論はひとつ重要な問題をすっ飛ばしている。「憲法の私人間(しじんかん)効力」と呼ばれる問題である。
表現の自由」というのは憲法学上の用語であるわけだが、本文中でも少し触れているように、憲法の人権規定というのは、原則的に公権力による人権侵害から私人を保護するためのものとされている。そこから、では私人間で生じた人権侵害には憲法は適用されないのか、という問題が出てくる。例えば企業(私法人)が労働者に対して行う人権侵害のように、私人の間であっても現実的に大きな力の差がある場合が、この問題設定が現実的に意味を持つ典型的なケースである。
したがって、今回の事件のような、一個人がデモの前に立ちはだかった、というようなケースは、「憲法の私人間適用」が問題となる典型的なケースですらない。「表現の自由」といった憲法学上の用語を用いて論じるのはかなりナンセンスな印象を与えるかもしれない。
しかし、タイトルに挙げたような主張は(「表現の自由」といった用語は用いられずとも)実際にこうした事件が起きると必ずといっていいほど口にされる。法律学プロパーの人はあまりこうした言い方はしないかもしれないが、このエントリーのように「表現の自由」という言葉を使うことは一般に見られないでもない。また、こういう言い方をしても必ずしも間違いになるものではないと思うので、このままにしておく。

*1:韓国籍を有する人らしい

*2:その点についてはこちら(http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/20101209/1291872075)のサイトにアップされている、弁護人による「被疑者の釈放を求める意見書」が詳しい

*3:この事件についてウェブ上で書かれたものとして、以下二点を挙げつつ、いずれの論旨にも同感である、とだけ述べておく。http://d.hatena.ne.jp/arama000/20101206/1291635217 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20101207/p1

*4:たとえば今年の10月16日。こちら参照→http://www.youtube.com/watch?v=YmmEmzvTaUE http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20101018/p1 id:toledこと常野雄次郎氏は、このときだけでなく、たしか去年も排外主義者のデモ行進の脇の歩道で反対の意思を示すバナーを持って立っていたところをボコボコにされていた。常野氏と「かしわざき」氏の行動力と勇気は大したものだと思う。それだけでなく、結論を先取りすることになるが、表現の自由的に言ってもすばらしい行為だと思う。あるいは、単に正しい行為であるというべきか。

*5:同条約の起草には参加したものの結局批准しなかったらしい

*6:リチャード・H・ファロン・Jr『アメリ憲法への招待』平地秀哉/福嶋敏明/宮下紘/中川律=訳、三省堂(2010)の30ページから58ページを参考にした。

*7:10月16日のケースでも二人に過ぎない。去年(?)の常野氏のケースにいたってはデモ行進の進路を阻んですらいない。

*8:ちょっと雑な言い方かもしれないがそれほど外してはいないはず

*9:私自身が当局と交渉したことがあるわけではないが、聞くところによれば、デモ申請に対して警察からコース変更をするよう「指導」することは珍しくないらしい。また、警察によりデモの隊列の周囲に「壁」が作られることも行われるようである。参照:http://d.hatena.ne.jp/quagma/20101010/1288213101 http://d.hatena.ne.jp/quagma/20101011/1288213518

*10:先に挙げたリンク先(http://kdxn.tumblr.com/post/2132625433/12-4)によれば、実際には横断幕には「民族教育の権利を守るぞ!! 阪神教育闘争の精神を受け継ぐぞ!! 祖国統一! 우리는하나(我々はひとつ)- ANTIFA黒い彗星☆」と書かれていたそうだ。侮辱でもなんでもない、実に堂々たる対抗言論というべきだろう。