改めて「黒い彗星」氏の行為について(12月11日の記事の補足、および批判的ブコメへの応答)

はじめに

正直に言うと論争とかいったことは苦手だし、そうそう毎回批判的ブコメに回答してなどいられないと思うのだけれど、前回の*1エントリー(「黒い彗星」氏の行為は在特会の表現の自由に対する不当な侵害であり、許されないか )は少し舌足らずであったかも、という気がしないでもないし、また私自身の立場をはっきり述べることもしなかったので、今回は、批判的ブコメブックマークページ)に応答しつつ、これらの点の補足を試みようと思う。
 

(1)前エントリーの舌足らずであった点、および私じしんの立場について、takamm氏のコメントによせて

id:takamm 「人種差別主義的な発言であっても表現の自由に含まれる」―なぜこれが前提?多くの言葉を連ねているが、ただ一言、「差別を容認する表現の自由は存在しない。」id:uchya_x以下、人間として最低限の...は言い過ぎ削除

コメントの後半部分はuchya_x氏による「あえてその立場を取ったとしても、ってことじゃないでしょうか?」とのコメントに応えて削除されている。もともとの後半部分は「人間として最低限のモラルを身に付けるべき」といった内容のものだったように記憶するが、正確ではないかもしれない。
私の前回のエントリーは、uchya_x氏のフォローのとおりの趣旨を持つものとして書いたつもりだった。すなわち、自分がどのような立場を採るかはとりあえず措いた上で、そのタイトルのような問いかけが前提としている立場(「ヘイトスピーチであっても表現の自由により保護される」)を否定する方法によらずに、「あえてその立場を取ったとしても」そのような問いかけは無意味なものである、という結論を導くことを試みたものだった。こうした迂回によって、そのような問いかけの根拠をいわば裏から崩すことができるのではないか、と考えたのである。そして、この点について意図が伝わらない可能性については全く考慮していなかった。
takamm氏のコメントに接してから読み返してみると、前エントリーが「自分の立場を保留しつつ論じる」、ということをきちんと明示していなかったことに気づいた。もっとこのあたりの意図が明確に読み手に伝わるような書き方をすべきだったかもしれない。この点に気づかせてくれたtakamm氏に感謝したい。
  
そこで、前エントリーの補足として、私じしんは「ヘイトスピーチ表現の自由」という問題についてどのように考えているのか、ここで明示しておくことにしたい*2。と言っても、上に述べたことからだいたい想像がつくだろう。私は前エントリーで前提とした「人種差別主義的な発言であっても表現の自由に含まれる」といった立場に対しては、どちらかといえば批判的である。
いかなる意味でもヘイトスピーチそのものを擁護することはできないと思うし*3、あえてこれを保護することは不当な暴力の容認であり、それは結局現状追認をしか意味しないのではないか、と思う。また、このような考えを徹底すれば現実的にはマイノリティや被差別者の権利回復は非常に困難になるだろう。そしてこれらの点を放置してよいと考える理由が見当たらない。仮にこうした立場を採るとしても、何らかの形でこれらの点に配慮した調整は必須だろうと考える。
前エントリーでも少し触れたように、アメリカ合衆国においては、連邦最高裁は「ヘイトスピーチであっても表現の自由により保護される」という立場に立っているとされているようだ*4し、学説においてもその立場が強いようである*5。その一方で、この立場に立脚しつつ私が上で述べたような危惧に対応しようとする理論も存在するようではあるが、この点については私はまだほとんど無知である。したがって、とりあえず今はこの立場に対する判断は保留している。
その反対に、前エントリーで言及した人種差別撤廃条約に代表されるような、「そもそもヘイトスピーチ表現の自由による保護の範囲に入らない」、「ヘイトスピーチは権利として保護されない」という立場がある。takamm氏もこの立場に立つものだろう。率直に言えば、この立場のほうが、「ヘイトスピーチであっても表現の自由により保護される」という立場よりも、私にはよほど理解しやすい。ただ、既に述べた理由から、完全にこの立場に軸足を置くことはとりあえずはしない、というまでである。
今のところ私の考えは以上のようなものである。自分ながら中途半端だとは思うが。
 

(2)本論の部分に対する批判(md2tak氏、skeleton-lair氏、およびtari-G氏のコメント)への応答

前エントリーの本論の部分に対する正面からの批判として、私が曲がりなりにも内容を理解できたものは、この三氏によるものである*6。以下、順にお答えしてゆく。私は(1)で述べたような考えを持つものではあるが、ここでの応答はやはり「ヘイトスピーチであっても権利として保護される」という前提に立ってのものとする。そうしなければ前エントリーの内容と一貫性を保った応答にはならないからだ。
 

id:md2tak 本気で言ってるのか?自力救済NGでFAだろ。仮にヘイトスピーチが法規制されていたとしても。物理的な抑止が暴力の基礎だという認識が甘い。

>自力救済NGでFA
「自力救済」とは黒い彗星氏の行為を指して言っているのだろうか。はたしてこれが自力救済といえるのか、たいへん疑問である。前回の私のエントリーを読めば「黒い彗星氏の行為は自力救済にあたる」などとは私が考えていないことは自明だ。いきなり「自力救済NGでFA」と言われても困る。ついでに言えば、一般論として「自力救済NGでFA」とも思わない。

>物理的な抑止が暴力の基礎だという認識が甘い
言っている内容がいささか不明瞭に思えるが、これも黒い彗星氏の行為が「物理的な抑止」であり、「暴力の基礎」だからよくないと言いたいのだろうか。そう解するとして、しかし、黒い彗星氏は「物理的」な「抑止」(これは実力でデモ行進を阻止するという意味だろうか?)などしていないのではないか。せいぜい紙(?)を手にデモ行進の前に立っただけで。 
 

id:skeleton-lair いや単純に(1)の下りは詭弁だと思うが。妨害の実効性を問題とすると無限の○○すればいいでしょが出てくるだけじゃないの。/妨害を問題とするなら「妨害であること」を問題とすべき。そして「立ちふさがる」は・・・

>単純に(1)の下りは詭弁
そうだろうか?
>無限の○○すればいいでしょが出てくるだけ
そうだろうか?無限になんか出てこないと思う。今回のケースで言えばせいぜい「よければいい」くらいしか思いつかなかった。「立ち止まればいい」とか「Uターンして別の進路を行けばいい」とか「実力で排除すればいい」とか言うことはできないと思う。
>妨害を問題とするなら「妨害であること」を問題とすべき
よく意味が分からないが、そうなのだろうか。なぜそうすべきなのか明瞭ではないと思う。私は単に「妨害であること」だけでは「許されない妨害」とはいえないと考えている。このことは前エントリーで既に述べた。
 

id:tari-G 悪いが素朴すぎる, もうちょっと, 権利侵害に敏感に, あと、単なる妨害を, カウンターデモとは, 言わない 権利侵害という点からは、(1)以外は論点として殆ど無意味だし、(1)も実質的法益侵害論に過ぎないので、正直あまり論じる価値はないなぁ。

>悪いが素朴すぎる
そうですか。
>もうちょっと, 権利侵害に敏感に
そうですか。
>単なる妨害を, カウンターデモとは, 言わない
運動界隈の用語に詳しくないので、あえて「カウンターデモ的な直接行動」というぼかした言い方をしたのだが、やはり私の「カウンターデモ」なる言葉の理解は間違っていただろうか。まあ、その点はどうでもいい。
問題は「単なる妨害」とtari-G氏が言っている点についてである。黒い彗星氏の行為は単純な妨害に止まるものではなく、デモ参加者や街を行きかう人々に対し、デモに対するカウンター的なメッセージを伝えようとするものだった。このことはどうしたって否定できないと思うのだが、tari-G氏がこの点を無視してなぜ「単なる妨害」と言い切ることができるのか、不思議である。
>権利侵害という点からは、(1)以外は論点として殆ど無意味
そうだろうか?
まず、私は単に「権利侵害か否か」を論じていたのではなく、「許されない権利侵害か否か」を論じていたことを指摘したい。そして、少なくとも(2)の点は「許されない」権利侵害といえるか否かを論じる際に落とせない論点だと思う。
また、(3)も無意味な論点だとは思わない。何らのカウンター的表現に邪魔されることなく、自分らの主張を「一般人」の迷惑にならぬ程度のやり方で伝えるために粛々と決められたコースを行進する。公権力に規定されたこうしたデモのあり方のみが保護されるべき表現行為であるのか、tari-G氏にお考えをお聞きしたいところだ。
>(1)も実質的法益侵害論に過ぎないので、正直あまり論じる価値はない
耳慣れない言葉だが、「実質的法益侵害論」とは刑法学上の概念だろうか。仮にそうだとして、黒い彗星氏がデモ行進の前に立つ行為は、何らかの犯罪構成要件に該当するものなのだろうか*7。そうでないとしたら、刑法学上の概念を用いて論じることに意味はないと思うが、なぜ私のエントリーに対し刑法学上の概念が持ち出されるのだろうか。
また、「実質的法益侵害論に過ぎない」という評価が仮に妥当だとして、なぜそれが「正直あまり論じる価値はない」という結論につながるのか、分からない。
 
以上、各批判にお答えしたが、前エントリーの(3)の部分に触れた批判がないという事実は興味深い。デモ隊の権利が侵害されるからではなくて、秩序の点から見てヤバイからあのような行為は駄目なのだ!と潔く認めたらいいのに、と思う。それはそれで(私とは立場が違うが)成立する立場ではあろう。前エントリーで引用したブログの方は、そのことをあっさり認めている。ひどいことをいっぱい言っていて唾棄すべき記事だとは思うが、少なくともこの点だけは潔くてよかった。
  

(3)Midas氏・Solven氏による批判(?)について

id:Solven id:Midas それの何が間違っているのですか?私は何度でも地下鉄にサリンは撒くべきだと思う。むしろ権力を倒すのはサリンやVXを使っても難しい。/デモやカウンターデモ如きで何を出来るの。被害者ぶってんじゃねえよ
id:quagma id:Midas「デモ行進の前に立つ」ことと地下鉄サリンが同じってか…さすがにびっくりした。豊かな想像力をお持ちなんですね。
id:Midas 国家権力の強大さを考えると地下鉄にサリンをまく程度の行いは「対抗言論」として許容されるべき←ブログ主の主張はこれと同じ/↑「そう」はっきり言えば間違いでないでしよ。問題はブログ主のヘタレ具合>id:Solven

私にとっては毎度のことなのであるが*8、Midas氏が私(のエントリー)を批判したいらしいこと(だけ)は分かったが、いったい何を言っているのかはよく分からない。なぜ私の主張が「国家権力の強大さを考えると地下鉄にサリンをまく程度の行いは『対抗言論』として許容されるべき」と「同じ」なのだろうか。論理が飛びすぎていて理解不能である。また、あまりに極端な内容なので、説明を求めたところでまともにそれができるとは思えない。そこで、ついついidコールしつつ嫌味を言ってしまった。
そこにもう一人、Solven氏という人が現れた。この人は、私のエントリーにではなくMidas氏の意見(?)にもっぱら興味をもってブコメを残し、氏とのやり取りに専念しているようである。地下鉄サリンなど私の書いたことに全く関係ない。
Midas氏のコメントのうちスラッシュ以下の後半はSolven氏の言葉に応答するものだとおぼしい(つまり私のコールは完全に無視している)。その中で「ブログ主」(=私)の「ヘタレ具合」が「問題」だと言っているが、いったい何をもって「ヘタレ」と評価し、何を「問題」視しているのか、例によって全く分からない。
Solven氏の「デモやカウンターデモ如きで何を出来るの。被害者ぶってんじゃねえよ」とはMidas氏に答えているのだろうか?しかしそう考えても意味が通らない気がする。Midas氏は「デモ等で何かが実現する」と考えたり「被害者ぶって」いたりなどしていないように見える。だとすると、やはりエントリーの内容に向けて言われた言葉なのだろうか。はっきりしないがそうらしくも思える。
…もしかして、Midas氏の「ヘタレ」云々はSolven氏のこの部分に答えて出てきた言葉なのだろうか。つまり、「ブログ主」たる私が「デモやカウンターデモ如き」で何かができると思っている「被害者ぶっ」た「ヘタレ」だ、と決めつけ批判するやり取りがなされているのだろうか。そう解すると、お二人のやり取りにつき一応筋の通った解釈が成り立つようだ*9
確かに、私は「デモやカウンターデモ如き」は(良い方向にも悪い方向にも)かなり力を持ちうる表現行為だと思っている*10。これに対し、お二人は、(例えば「地下鉄サリン」なり何なりのクーデター的行為によって?)「権力を倒す」ことに比べれば、「デモやカウンターデモ如き」にかまけるのは「ヘタレ」であると語っているようだ。
これは全く粗雑な考えだと思う。今の日本の状況は、「権力を倒」しさえすればいいというような、「地下鉄サリン」的な安易な考えが通用するようなものでは全くないことは明らかだ。問題は排外主義その他の各種差別が充満する日本社会のあり方そのものである。これをきちんと批判し変えることができなければ、クーデターだろうが革命だろうが何度やっても意味なんかないのだ。「デモやカウンターデモ如き」は、そのために採りうる有効な手段の一つだろう。
 
お二人はさらにメタブックマークページでもやり取りしている。

id:quagma ↓私は少なくともこのエントリーでは「自由の敵に自由を与えるべき?」などということは全く論じていないのですから、Midasさんが何か勘違いしておいでなのは間違いないでしょう。/もしや読んでないのでは?
id:Midas ↓本エントリはお馴染み「自由の敵に自由を与えるべき?」ゆえ「誰がその人達を『自由の敵』認定するの?」から自由wになれない。概念「例外状態」で私と対立するバカ連中は永遠にこのループから逃れられないでしょう
id:Solven 「反権力でデモ制限をする非暴力な路線」に「排外批判」セメントを注入して無理補強。ブコメは世界革命が「程度の問題」で終わるスターリニズムってとこ / id:Midas 理解しました

ここでのSolven氏のコメントはほぼ全く意味が分からない。お手上げである。
これに答えてMidas氏の言っていることは、私がその上のブコメで指摘するように、勘違いに基づいたものである。ただし、このエントリーでは「ヘイトスピーチに自由を与えるべきではない」という考えに強いシンパシーを示してもいるので、「誰がある表現を『ヘイトスピーチ』認定するの?」という疑問には応答しておく。
この問いは要するに、法を執行する権力による濫用の危険を指摘したものだと解される。しかし、法の規定が適切に定められてさえいれば、ほとんどの場合、「ある表現がヘイトスピーチか」といった点に疑問の余地はない。少なくとも今回の渋谷のデモはどう見てもヘイトスピーチそのものであることは疑い得ない。また、第三者によるチェックといった運用における適正性確保の仕組みを組み込むことも可能だろう。これを逆から言えば、そもそも全ての権力の執行には濫用の危険が伴うのであって、Midas氏のような指摘は、単に一般論として述べている限りは、実際には全く意味のない指摘なのだ。具体的な法制定の局面*11や法適用の局面で指摘するのでなければ、濫用の危険を言い募ったところで無意味である。ところで、前エントリーでも言及した現在の日本におけるデモ規制のあり方は、権力を濫用的に行使するものだと私などは思うが、この点に限らずMidas氏がこうした具体的な権力濫用のケースを指摘して批判するのは見たことがない。
Midas氏コメントの後半の例外状態うんぬんはほぼ全く意味が分からない。そして、Solven氏は「理解しました」と言っているが、いったい何をどう理解したのだろうか。というか、両氏はいったい何と戦っているのだろうか?
おそらく、お二人とも私のエントリーなど最初から眼中にないのだろう。ここで私は、お二人のやり取りを解釈しようと努力したが、そのような努力が私にとって全くの徒労である、ということが分かったことだけが収穫だった。まあ、Midas氏らの理解しがたい言動に対し、私なりに真面目に応接しようと試みたひとつの結果ではあるから、これはこれでいいのだろう。
 

(4)改めて、黒い彗星氏の行為について

最後に、今さらではあるが、前エントリーではあえて述べなかった、黒い彗星氏の行為に対する私の考えを述べておきたい。ここで改めて言うまでもなく、これまで書いてきたことからほとんど明らかではあろうが、私は、黒い彗星氏の行為を支持する者である。
私は、氏の行為を、差別をはじめとしたもろもろの不正に抑圧されている者を勇気付け、差別をはじめとしたもろもろの不正に憤るものを鼓舞し、差別をはじめとしたもろもろの不正を現に行っている全ての者を鋭く指弾するものとして受け取った。私はこの三者のいずれでもあり、したがって三通りのメッセージとして受け取ったのである。
そして、このメッセージは、より広く伝播されなければならない。つまり、受け取った私たち各々が各々の場で黒い彗星的メッセージを発するべきだ。みんな黒い彗星になるべきなのだ。私はなりたい。それは必ずしもそんなに難しいことではないかもしれない。

*1:正確には前々々回の

*2:ただし、これはあくまでも現時点においての仮のものだということは強調しておきたい。

*3:「保護される」とする立場も必ずしもこの点を否定するものではないようだが

*4:ただ、本当にそうなのかについては実は少し疑問がある。

*5:キャサリン・マッキノンのような人は、合衆国内にありつつこの立場に反対するものであろうか。

*6:id:kogarasumaru氏やid:Mukke氏は留保の意思を表明されてはいるが、批判とは異なると思う。

*7:私には思いつかないし、そもそもその前提では論じていなかった。黒い彗星氏を「現行犯逮捕」した警察も、暴行を被疑事実とした(http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/20101209/1291872075参照)のであって、デモ行進の前に立った行為自体を犯罪として逮捕したのではなかった。私じしんは、あえていうなら当該行為はデモ隊との関係で民事上の不法行為成立の有無が問題になるかと思っていた。

*8:Midas氏と直接やり取り(?)するのは今回が初めてだったと思うが、氏のはてなブックマーク上における言動は以前から何度も目にしていた。

*9:実際、ここにこうして書くまで、私はSolven氏も私を批判しているらしいということが分からなかった。

*10:もっとも、前エントリーの趣旨はこのような考えを述べるものではなかった。

*11:今回の都条例のような