12月21日の大阪高裁判決の政教分離判断について

現在全国各地の裁判所に係属中の靖国合祀訴訟の一つにおいて、前例のない画期的判断がなされたようだ。

靖国神社への戦没者名提供「政教分離に違反」 大阪高
 太平洋戦争の戦没者らの遺族8人が「遺族の意思に反して靖国神社に親族を祭られ、故人をしのぶ権利を侵害された」として、同神社と国を相手に神社が管理する名簿から氏名を消すことなどを求めた訴訟の控訴審判決が21日、大阪高裁であった。前坂光雄裁判長は、遺族側の請求を退けた一審・大阪地裁判決を支持して遺族側の控訴を棄却したが、国が戦没者の氏名などを靖国神社に提供したのは「国の政教分離原則に違反する行為」と指摘した。
 原告側弁護団は「国が合祀(ごうし)に協力したことを違憲とした初判断」と説明している。一方、控訴棄却を不服として最高裁に上告する方針。
(略)
 前坂裁判長は控訴審で、護国神社への自衛官の合祀をめぐり遺族側が敗訴した最高裁判決(1988年)を踏まえ、原告8人についても「靖国神社の教義や宗教活動に対して内心で抱く個人的な不快感や嫌悪感にすぎない」と指摘し、一審同様、8人には法的に保護すべき利益はないと判断した。
 判決はさらに、国の合祀への関与を検討。(1)旧厚生省が戦後に合祀予定者を決めて神社側に通報した(2)調査費用が国庫負担だった、などの経緯をふまえ「合祀の円滑な実行に大きな役割を果たした」と認定した。そのうえで、国の行為は「宗教行為そのものを援助、助長し、影響を与えた」として政教分離原則に反するとの判断を示したが、「遺族側の法的利益が侵害されたわけではない」として、賠償義務はないと結論づけた。
(略) (平賀拓哉)

http://www.asahi.com/national/update/1221/OSK201012210089.html

このブログでも、同様の請求を立てた訴訟における10月26日の那覇地裁判決について取り上げたことがあるが、そのエントリーは主に同判決における法的利益の侵害を否定する論理を批判したものだった。
記事を読む限り、今回の大阪高裁の判決は、私が前のエントリーで批判したものとほぼ同様の論理を踏襲したものと思われる。前例のない新判断は、前エントリーでは全く触れていなかった政教分離についてのものである。
 
ちなみに、政教分離の点につき那覇地裁10月26日判決はどのように判断していただろうか。
裁判所のデータベースで同判決を見てみると、68ページに及ぶ全文のうち、その点につき判断している部分は1ページにも満たない分量しかない(67ページ)。どのような内容かといえば、まず、前回のエントリーでも触れ、また上記の新聞記事でも触れている1988年6月1日の最高裁判決(自衛官護国神社合祀訴訟)の以下の部分(判決文7−8ページ)を引用する。

なお、憲法二〇条三項の政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であつて、私人に対して信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国及びその機関が行うことのできない行為の範囲を定めて国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由を確保しようとするものである(前記最高裁大法廷判決*1)。したがつて、この規定に違反する国又はその機関の宗教的活動も、それが同条一項前段に違反して私人の信教の自由を制限し、あるいは同条二項に違反して私人に対し宗教上の行為等への参加を強制するなど、憲法が保障している信教の自由を直接侵害するに至らない限り、私人に対する関係で当然には違法と評価されるものではない。

この部分をほぼそのままコピペした上で、那覇地裁判決は、以下のように述べる(判決文67ページ)。

本件全証拠によっても,これらの行為によって宗教上の行為等への参加が強制されるなど原告らの信教の自由等の権利が直接侵害されたと認めることはできないから,憲法20条3項,89条違反を前提とする国家賠償法上の違法行為は認められず,被告国において,これによる賠償責任は生じない。

国の行為が憲法政教分離規定(憲法20条3項、89条)に違反しないかという点につき、具体的に検討することをほとんどネグっていることがわかる。1988年最高裁判決の論理に従うならば、原告の信教の自由を直接侵害していないことが示されればそれで請求棄却の判断を下すことが可能なので、政教分離の論点に深入りする必要はない、ということなのだろう*2
 
このような那覇地裁判決と比較したとき、今回の大阪高裁の判決は、同じく1988年最高裁判決の論理にのっとり、かつ結論としても同一であると考えられる*3にもかかわらず、国の政教分離違反の点につき踏み込んで判断しているという点で、非常に特異である。かなり消極的な*4日本の司法制度の下においては、あえて触れる必要のない憲法判断を積極的に行うことは、一般的に忌避されていると考えられるからだ。この点で今回の判決は、原告の請求を棄却しつつも小泉政権による自衛隊イラク派遣を憲法違反と判断した2年半前の名古屋高裁判決*5を思い出させる*6。こうした意味でも、今回の判決はそれなりに重く受け取られるべきものである、ということもできるように思う。
その一方で、今回の判決は、1988年判決の論理の下で、同種の訴訟で原告側が勝訴することの困難を改めて印象付けるものでもあった。先に触れた名古屋高裁判決と今回とで異なるのは、今回の原告側が最高裁へ上告する意思を表明していることだ。最高裁が1988年判決の論理にとどまり続けるのか、それとも新しい判断を示すのか、注目したい。

*1:最高裁大法廷判決1977年7月13日民集31巻4号533頁。「津地鎮祭事件判決」として知られる。

*2:もっとも、1988年判決自体は、事案に即して政教分離違反の点につき判断を示している。

*3:判決文に当たらないうちは断言できないが、上記の新聞記事を読む限り、そう考えて構わなさそうである。

*4:立法・行政の行為に対し判断することを回避する傾向が強い

*5:名古屋高裁判決2008年4月17日 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=36331&hanreiKbn=03

*6:ちなみに、同判決を出した裁判長は判決言い渡しの時点で既に定年で退官していた。この事実を知って、一定の感慨を催した者は少なくなかったと思われる。