政治的無関心とマンガ
左翼の「オスバカノンケ」に関心を持てない人たちが別の方法を選んでしまった。例えば、コミケとか漫画の世界が豊かなのは、現実社会での闘いや変革に諦めた人たちの、別の形ので表現/闘い、という側面もあるのではないでしょうか
このまとめでの議論の本筋とはずれるんだけど、この指摘が気になる。
どの程度妥当なのかはちょっと判断できないけど、明治時代の自然主義文学が自由民権運動の敗北*1とほぼ同時に出てきたという指摘*2を思い出させて、妙に納得させられるところはある。
私が多少とも知ってると言えるのは商業媒体の少年マンガ・青年マンガくらいだけど、ほとんどの作品はごく保守的な感性をバックにしてると感じる。例えば少年ジャンプの有名な「友情・努力・勝利」て、すごく現状追認的な価値観の表現として機能してると思う。
ぜんぜん闘ってなくて、めっちゃ体制に順応してんじゃん…とおもったが、こういうのはひびの氏の言う「別の形ので表現/闘い」には入らないのかも。