フリッツ・ラング

マン・ハント - 一人でお茶を

白黒映画だが、場面ごとに光と影を絶妙に活かした絵で情景が描かれ、カラー映画にはない美と深みを見せてくれる。

陽射しの差し込むドイツの森、カーテンで閉ざされた薄暗い部屋、ひきずられてきた傷ついた男の足が絨毯に残した跡、窓から光が差し込み壁に濃い影が映る様子、霧のロンドン、ぼんやりと薄暗い中にともるガス灯。地下鉄でもみあう男の持つ刃物がレールに接触して火花が散る、一瞬の死。

登場人物の落とす影が、そのときどきの様子や感情まで濃く描き出す場面演出が見事だった。

マン・ハント」はフリッツ・ラングにはまるきっかけになった作品だった。10年ちょっと前、今はもうない、東京・白山*1三百人劇場フリッツ・ラングのレトロスペクティヴやってて、そこで見た。
最初にこの作品を見たとき異様に興奮したこと、そのあとこのレトロに通いつめて上映作品全部*2見たこと、そのときの劇場の雰囲気などはよく覚えているのに、例によって「マン・ハント」がどういう話だったか、結末はどうなったか、などはよく覚えていない。
冒頭でヒトラーらしき人物を狙撃しようとして失敗する*3ところとか、ジョーン・ベネットのアパートの室内とか、夜の街の路面の異様な光り方とか、断片的なところは思い出せるんだけど。
 
ところで、

フリッツ・ラング監督、光と影の扱いは見事だが、追っかけのスリルとサスペンスでひっぱる技は、ヒッチコックには及ばない。

と言われては、ラング主義者としては気色ばんでしまう。しかし冷静になってみると、たしかにそういうところがあった。少なくとも、ラング作品が「映画全体が途切れることなく流れるように動いていく、あの動的な印象、映画そのものとしかいいようがない快感」といったものには欠けていたことは、認めざるをえない。編集のリズムのせいなのか、ちょっとかったるい感じもあるんだよな…
 
ラングは、室内に複数の人物がいる場面での緊張感を演出するのがすごくうまい監督だと思う。暴力が暴発する一歩手前の緊張感というか…
で、いったん実際に暴力が振るわれる格闘シーンになると、異様なほどねちっこくて、本当に暴力的で、「痛い」。カンフー映画や日本の時代劇の殺陣の華やかさとは対照的な、泥臭くのた打ち回るという感じの、まさに格闘。後に格闘シーンを演出する映画監督でラングを参考にしている人はけっこういるんじゃないか。残念ながらあの監督のこの作品のここが具体的にそうとか指摘する能力はないが、少なくとも私ならマネしたくなる。
あと、「ラングは椅子に座っている人物を登場させると冴える」といったようなことを蓮實重彦が言ってた記憶がある。ラング作品を見ると、たしかにその通りで、椅子に座るという行為が演出の一つの要になっているのがわかる。「飾り窓の女」は言うまでもないけど、ドイツ時代の「スピオーネ」に出てくる、車椅子のスパイ組織ボスもすごかった。
 
とか書いていたら、ユーチューブにアップされている「マン・ハント」の一部で、まさにピッタリなシーンを見つけてしまった。

ヒトラー狙撃に失敗し*4ナチスの将校の居室に連行された主人公。疲れきり、汚れてぼろきれのようになっている。将校に勧められ椅子に座り、葉巻をふかす。将校は立ったまま、しばらく両者の間で会話が交わされる。将校はこのようにして相手に対する圧倒的な優位を誇示しようとしている。立っている/座っている両者の関係が、そのまま権力関係なのだ(視線の高低、肉体的な優位と劣位)。そして、このように劣位に設定された権力関係の中でも、主人公がまったくたじろがないさまが描写され、そしてある段階で主人公は立ち上がり、将校と真っ向から相対する。主人公が不屈の精神で権力に立ち向かうものであることを、このようにして見事に描写しているわけだ。
 
書いていたら、めちゃくちゃラング作品が見たくなってきた。
 
ちなみに私が一番好きな作品は、難しいけど、「復讐は俺にまかせろ」か「条理ある疑いの彼方に」のどちらか。

*1:千石の間違いだった。

*2:といっても、このレトロの上映作品はさほど多くなかった。「マン・ハント」「暗黒街の弾痕」「死刑執行人もまた死す」「復讐は俺にまかせろ」「大いなる神秘」2部作、で全てだったと思う。

*3:はてなキーワード見て思い出したが、主人公は暗殺を試みたのではなく、あくまでもスポーツ感覚で「弾の込められていない銃」を用いてヒトラーに照準を定め、引き金を絞ろうとしたところでナチス兵士に発見され捕らえられたのだった。

*4:記憶違い。主人公は「人間狩り(マン・ハント)」というスポーツとしてヒトラーを弾の込められていない銃で狙ったのだった。