プライバシーと言論の自由

「相手を不快にする権利」の件は最初にエントリーを上げてから10日(そもそものウガヤ氏のツイートからは2週間以上)経ってしまったにもかかわらずぜんぜん進んでいないわけだが、そうしているうちに以下のような事件が報道された。報道による人権侵害が問題になる点でサリバン事件と共通点がある。

警視庁などの内部資料とみられる国際テロ関係の情報がネット上に流出した問題で、流出データを収録した本が出版された。警察官や捜査協力者の住所や氏名、顔写真などがそのまま掲載されている。
出版した第三書館(東京都新宿区)は「警察の情報管理のルーズさを問題提起したかった」としている。タイトルは「流出『公安テロ情報』全データ」(469ページ)で、25日発行。データは編集部が作成した項目に整理されているが「内容には手を加えてはいない」という。
(中略)
第三書館の北川明社長は、「流出により日本の情報機関の信用が失墜した。イスラムを敵視する当局の姿勢も浮き彫りになった」と説明。個人情報を掲載する是非や著作権については「すでに流出しているデータである以上、出版の重要性が勝る。警察は自らの情報と認めておらず、我々には流出情報として出版する権利がある」としている。
実名や顔写真などを掲載された都内のチュニジア人男性は「情報を漏らした警察よりもひどい。書店で売られたら生きていけない」と話した。

asahi.com(朝日新聞社)流出「公安テロ情報」出版 第三書館、実名や顔写真掲載 - 社会


プライバシーと表現の自由という、いずれも憲法により保障される*1と考えられる重要な価値が正面から衝突するケースである。上記のようにサリバン事件と似ている点もあるが、このケースが公職者ではなく私人*2法益を侵害するケースである点が異なる*3。日本の判例上類似したケースとしては、ノンフィクション作品による実名での前科の公開が問題となった「逆転」事件*4が有名だろう。
 
流出した(とされる)警視庁などの内部資料の内容そのものが、当局の差別的なあり方を証明するものであり、それ自体衝撃的な事実だが、このエントリーでは、出版社による実名・写真の公開とプライバシーの関係について少し書いてみたい。
 
公権力がいったいどのようなことをするものなのか一般市民が知ることは、権力に対する監視のために、必要不可欠である。憲法が「表現の自由」を保障する最も重要な趣旨はその点にある(自己統治の実現)。したがって、当局が差別的視線に基づき外国人を捜査対象としていたことが内部資料の流出により明らかとなったという事実は、日本の警察の性質を知るために重要な情報であり、少なからぬ報道価値がある。また、その流出した資料の生のままに近いデータを広く公開することは、報道としての価値はもちろん、報道の内容の真実性の担保にも寄与すると考えられる。このように考えると、今回の出版は、基本的に支持すべきであると思う。
しかし、これらの目的を実現するために「捜査協力者」の実名や顔写真をそのまま掲載することは必要だろうか。例えば、これらの部分を「墨塗り」などして隠し、その上でイスラム教徒である外国人が捜査の対象とされていたことを註として述べれば、十分に「イスラムを敵視する当局の姿勢」は伝わるのではないか。また、流出した資料のごく一部を一定の理由に基づき隠したとしても、報道価値や真実性担保的価値の減少はほとんどないだろう。このような出版の必要性が認められる趣旨はあくまでも「捜査当局が何をしていたか」を一般に伝えることにあるのであり、捜査の対象になっていた具体的個人の名前や容姿が一般に知られる必要性はそもそも存在しないのである。
また、社長は「すでに流出しているデータである以上、出版の重要性が勝る。」と述べている。しかし、「すでに流出しているデータ」であっても、その流出は一部にとどまったものであり*5、それを改めて出版することは「捜査協力者」として実名・写真を掲載された個人に対する新たな重大なプライバシー侵害となる。出版社社長も「出版の重要性が勝る」と言っている以上、プライバシー侵害に当たることを否定するつもりはないのだろう。その「出版の重要性」にしても、先に述べたようにプライバシー情報を隠したうえで適当な説明を付して出版したところで出版物としての価値はほどんど減少しないと思われ、この論理にも疑問を禁じえない。
このように実名・写真の掲載の必要性はほとんど存在しないのに対し、掲載された「捜査協力者」に生じる事実上の不利益は甚大なものになるだろう。ただでさえ不安定な立場を強いられている外国人にとってはなおさらである。記事の「チュニジア人男性」が「書店で売られたら生きていけない」と述べているのも、全く大げさな話ではないと思う。
 
以上から、「捜査協力者」の実名・写真をそのままに掲載する扱いには問題があると考えざるを得ない。このあたりについてどう考えるのか、出版社の社長の言い分を聞いてみたいところである。

*1:もっとも前者については、日本の最高裁憲法により保障されるかという点につき明言を避けている。

*2:「捜査協力者」=当局から疑いの目で見られていた外国人たち

*3:被侵害法益も名誉とプライバシーとで異なるが、その点は措く。

*4:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%80%8C%E9%80%86%E8%BB%A2%E3%80%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

*5:そもそも、流出データがたやすく入手できるようなものならこのような出版物が企画されること自体なかったはずである。