『さようなら、もんじゅ君』感想

ツイッターにポストしたものを以下そのまま再構成*1(文章にはけっこう手を入れた)。
 
『さようなら、もんじゅ高速増殖炉がかたる原発のホントのおはなし』*2読了。原発をめぐる問題を手っ取り早く知るにはいい本なのかな、と思った(個人的にはこの本から新しい知見を得たということはなかったけど)。
何といっても早く読めて*3、大まかに問題の全体像を理解できる、というのはいい。特に95年のナトリウム漏れ事故を語るあたり、適宜「もんじゅ君の感じたこと」を挟むことで経緯と問題点が理解しやすく書かれていて、この語り口がうまくいってるところだと思う。
一方で「高速増殖炉のしくみ」を説明するあたりなどは、もんじゅ君の一人称の語りの限界というか、はっきり言ってあんまりうまく説明できてない感じ(類書と比べても分かりにくい)。「熱中性子くん」とか、なんだそれって思ったし…まあでもこの辺はそんなに大きい瑕疵ではないかな。
より問題だと思うのは、この本が、原発をめぐる問題のなかでも特に暗い部分について触れることを、(たぶんわざと)オミットしてるところ。例えば原発での労働における被爆にはほんのちょっと触れてるけど、そこにおける差別や権力的な構造の問題については全く書いてない。
同じく、電源三法には触れていても、その前提としてある(そして原発によりさらに強化されることになる)都市部と地方の構造的な格差の問題にもほとんど触れていない。原発誘致の足下で行われてきた権力によるなりふりかまわぬやり口にも全く触れない。
好意的に見れば「入り口」としての役割に徹し、敢えて重い部分に触れるのは避けたのかもしれない。語り口にもそぐわないし。
しかし、結局そういう考えはダメだと思うし、語り口の選択にも失敗したということだと思う。
個人的に決定的だと感じられたのは、巻末の参考文献の選択である。
なぜ、例えば鎌田慧の本が一冊も挙げられてないのか。読んでないが、宇野常寛『リトル・ピープルの時代』東野圭吾『天空の蜂』川上弘美『神様2011』とかって、鎌田『六ヶ所村の記録』を差し置いても入れなきゃならん本なのだろうか。

*1:http://twilog.org/qua_gma/date-120729の16:57:20から17:41:25までのポスト参照

*2:もんじゅ君 監修 小林圭二、河出書房新社、初版印刷2012年3月11日

*3:私は2時間ほどで読めた