「おまわりさんは何をやっているの?」は何を書かないか

前回の記事*1に対し、わりとすぐに『デモいこ!』編集の野間易通氏(@kdxn)から応答(罵倒込み)があった*2
いろいろ言ってるが、ここでは、当該コラムは「警察の本質」につききちんと言及しているとの反論に対し、当該コラムを引用しつつ再反論したい。
 
じゃあさっそく、当該コラム(執筆したのは野間氏自身であるとは、ご本人の弁。)を実際に見てみましょうか。
 
まず、ガラケーでコラムの掲載されたページを撮影した画像があるので、ごらんいただきたい(サイズが小さいので分かりにくいかもしれないが)。
http://twitpic.com/aduahy
コラムを囲む意匠に注目。"POLICE"という字とか、パトカー、警察犬、警察官のかぶる帽子、警察のマスコット「ピーポ君」、警察手帳、などがイラスト化された意匠になってるのがお分かりいただけるだろうか。はっきり言ってカワイイ。
デモに対し規制を加えてくる権力そのものである警察を扱うのに、こんなカワイイ意匠で囲むといったあたり、既にしてあるメッセージを受け取らないわけにはいかない。
「警察、こわくないよ!」
……警察のPRかよ!

次に、文章の内容を見る。

ふだんデモに参加しないとあまり気づかないことですが、デモには一般参加者だけでなく、警察官がたくさん来ています。デモ隊を先導しているのも、多くの場合は警察車両です。この警察官はなんのためにいるのでしょうか。

ここまで第一段落。ふむ。
問題は次の第二段落。

デモに来ているおもな警察官は、地元を管轄する警察署の人たちです。彼らの第一の仕事は、交通整理とデモ隊の誘導です。デモはふつう車道の左側の車線を通行するために、あらかじめ先回りして車道を空けておき、集団がスムーズに道路を進行できるように交通を整理します。デモは車と同じく交通信号にしたがって進みますが、数百人規模以上のデモの場合、警察官が手動で信号を操作しデモが通過するまで信号を青に保ってくれることもあります。また、片側2車線以上ある広い道路では、右車線側についた警察官が、デモ隊が車線をはみださないように整理誘導しています。あらかじめ車線上にカラーコーンを置いて、デモ通過前に車両が進入しないような措置を講じることもあります。

外形的には、ごくニュートラルな、「所轄が街頭デモでどのように振る舞うか」についての客観的な記述のようである。書いてあることの中に、虚偽があるわけでもない(たぶん)。言い落とし(おそらく故意の)はあるけど。
 
私が「まるで警察がデモの円滑な実行のため親切にも協力してくれてるような書きぶり」と書いたのはこの部分を念頭に置いていた。
どうでしょう、この文章。あたかも、デモがスムーズに成し遂げられるため、「警察署の人たち」がコマネズミみたいにかいがいしく立ち働いてくれている*3、読み手にそういう印象を持たせるように巧妙に書かれていると思いませんか。
もしかしたら現実にそのように見えてしまう局面はあるのかもしれない。その意味で、この文章はウソを言ってるのではない。しかし、それは仮の見かけに過ぎない。警察という組織は、デモが交通その他の秩序を決して乱すことがないよう、かいがいしく立ち働いているのであって、デモ(に参加する人たち)が十全に権利行使できるようがんばっているのでは、ない。
 
この文章が(おそらく故意に)言い落としている部分も、その点にかかわっている。
ひとたび、「デモという権利行使」と「秩序を乱すことのない円滑なデモの遂行」という両者の目的が現実に衝突をきたす局面*4に至るやいなや*5、警察はすぐにでもデモを管理しようと介入してくる。この文章は、こうしたことに、まったく言及しない。
よく知っているわけではないが、多くのデモではそうした事態は出来せず、「無事」に終わるのかもしれない。しかしそれはたまたまそうであったというだけのことだ。本質的にデモと警察は相反する目的のもとに動いている(仮にデモ参加者がそのことをまったく意識していないとしても、そうなのである)のであり、多くの場合対立が表面化しないのだとしても、それはまさに表面だけのことに過ぎない。
 
「まるで警察がデモの円滑な実行のため親切にも協力してくれてるような書きぶりになっている」と私は書いたが、ここまで読む限り、その印象を撤回する必要を認めない。
 

では、いよいよ野間氏が「警察の本質」につき言及している、と主張する第三段落*6である。

制服警官のほかに、私服姿の刑事が何人か来ている場合もあります。こうした刑事はデモ隊の写真を撮ったりビデオを撮影したりしていますが、これは治安対策のための情報収集です。犯罪を犯そうとしているわけでもない一般人の写真や映像を警察が無断で収集することは、憲法13条に反した肖像権侵害であるとの見方*7もあります。

なるほど、確かに、「私服姿の刑事」が「治安対策のための情報収集」をしている、との記述は「警察の本質」に言及したものと言えよう。
しかし、こうした記述があるからといって、前段落のごまかしめいた記述が帳消しになるものではない。この文章は、前段落における言い落としをカバーするようなものには、なっていないからだ。ミソは、「制服警官」と「私服姿の刑事」を切り離して扱い、しかも「私服姿の刑事」の任務が単に「情報収集」に過ぎないという点にある。先に述べたとおり、警察がデモに対して行う権力行使は情報収集に留まるものではない。よって、情報収集に言及したからといって、前述のような言い落としをカバーすることにはならない。
そもそも、私が指摘したのは「デモを管理し…そのポテンシャルを削りたい」という警察の本質に「この本の書き手は、できるだけ…触れないようにしている」ということであった。「私服姿の刑事」による「治安対策のための情報収集」に言及している、という野間氏の抗弁は、私の指摘に対する反論になっていないのである。
結論。ここに至っても、「まるで警察がデモの円滑な実行のため親切にも協力してくれてるような書きぶりになっている」との記述を撤回する必要を、私は認め得ない。
 

ところで、

以上とは別に、この段落の記述には、気になる点がある。初めに読んだときから既に引っ掛かっていたのだが、言うのを忘れていた。この際指摘しておきたい。
すなわち、京都府学連事件判決に触れつつ「犯罪を犯そうとしているわけでもない一般人の写真や映像を警察が無断で収集することは、憲法13条に反した肖像権侵害であるとの見方もあります。」とは、ずいぶん腰が引けた物言いに思える、という点である。
著名な判例である同判決は、まさに上記のような撮影行為は、相当に限定されたケースを除いては憲法13条の「趣旨に反し、許されない」と言ってる*8のだから、普通にその通りに書けばいいと思うのだ。
それを、あえて「との見方もあります。」と書くというのは、一体どういう力が野間氏のペンを持つ手(もしくはキーボードを叩く手)に作用したのだろうか、と訝しく思わざるを得ない。

*1:正確には転載元のツイッターのポスト

*2:http://twilog.org/qua_gma/date-120731の01:22:01以降参照。

*3:「信号を青に保ってくれる」という記述を見落とすべきではない

*4:たとえば、車道や歩道に広がろうとする、スケジュールどおりに行進せず一箇所に滞留する、など

*5:本質的には、両者は最初から相反するものであることは言うまでもない。デモは既存の秩序に亀裂を入れることにこそその本領の少なくとも一部分があるのだから。

*6:はじめ野間氏は4段落目、と言っていたが、実際には3段落目であった

*7:脚注「京都府学連事件判決(最高裁 昭和44年12月24日)」とある

*8:どのような場合に撮影が許されると同判決が言っているのかについては、ぜひ実際に京都府学連事件判決http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=51765&hanreiKbn=02を見て確認していただきたい