十字架焼却の歴史

合衆国におけるヘイトスピーチ規制の文脈において重要な連邦最高裁判決であるVirginia v. Black 538 U.S. 343 (2003)を読んでいるのだが、そこで素描されている「十字架焼却(cross burning)」なる行為の歴史が非常に興味深い。
Virginia v. Black判決(以下、ブラック判決)では、十字架を燃やす行為を犯罪として処罰するヴァージニア州法の合憲性が問題となっている。実は先例として、ほぼ同じような内容の市条例を、合衆国憲法第1修正*1に反し違憲であると判断した判例(R.A.V. v. St.Paul 505 U.s. 377 (1992)、以下、RAV判決)がある。ブラック判決の法廷意見(O'Connor裁判官)は、この判例を変更していないのだが、にもかかわらずRAV判決とは反対に十字架焼却を禁止するヴァージニア州法を合憲と判断した*2。ブラック判決はその判断の前提として、十字架焼却という行為の意味を明らかにする歴史的説明に一章を割いている*3。先に述べたようにこの部分が非常に興味深く、示唆に富んでいるとも思われるので、この部分の全文を訳出してみた(「第二章」の部分がそれである)。
 
連邦最高裁判決 ヴァージニア州対ブラック、その他 538 U.S. 343 (2003) - 小熊座
 
このさほど長いわけではない歴史叙述は、本判決が判断を下すために必要な限りでまとめられたものだと思われる。したがって、これだけを読んで何かがわかったなどと考えるべきではないのだろう。それでも、私はこれを読んで、いくつかのことを強く印象付けられずにいられなかった。これらのことは、単純に私が無知であったということを意味しているに過ぎないのかもしれないが、ここに書いておきたい。
 
第一に、十字架焼却という類まれに強烈で不快な象徴的行為の存在そのものがもたらす衝撃。
この点については、説明不要だろう。
 
第二に、十字架焼却の持つ来歴の奇妙さ。
判決文はウォルター・スコットとディクソンの間の影響関係について明言していないが、おそらくは、14世紀スコットランドに実在した風習―18−19世紀スコットランドのロマンス作家サー・ウォルター・スコットによる詩『湖上の麗人』―20世紀初頭の合衆国の小説家トーマス・ディクソンによる歴史小説『クランズマン』―ほぼ同時代の映画作家D.W.グリフィスによる映画『国民の創生』―その直後に合衆国南部社会でKKKの復活と同時に十字架焼却が現実化、という流れが存在するものと考えられる。そのスパンの長さもさることながら、伝達経路において生じた意味内容のねじれっぷりに一種めまいのようなものを感じずにいられない。
 
第三に、十字架焼却が「憎悪の象徴」として通用するようになったという事実には、これらのフィクション(特にグリフィスの映画)がその根を持っていると思われること(このことは、判決文の記述自体からわかることではないが)。
私はウォルター・スコットもトーマス・ディクソンも読んでいないが、グリフィスの『国民の創生』は見た*4。この映画において、燃える十字架は二度画面に登場する。いずれにおいても、その意味するところは単純ではないが、少なくとも憎悪と攻撃の色彩を帯びていることは間違いない。そもそもよく知られているように、この映画そのものが人種差別的な内容を持っている。*5。判決文中で言及されている「最初の記録された十字架焼却」が、すでに色濃く憎悪的表現としての性質を持っていたのは、このことと無関係ではないだろう*6
 
第四に、1915年における十字架焼却の発端において、レオ・フランクのリンチによる殺害*7という衝撃的な事件が絡んでいるという事実。
判決文が書いているように、合衆国における記録された最初の十字架焼却は、レオ・フランクのリンチによる殺害を「祝う」ものだった。この禍々しくも呪わしい事実に戦慄する。
 
第五に、十字架焼却という象徴的表現の持つ二面性(あいまいさ)が強調されていること。
十字架焼却は「憎悪の象徴」として記述されるが、それが内部に向けられたときはイデオロギーと団結の表象となり、外部に向けられたときは激烈な脅迫そのものとなる。この二面性は、当然この判決(第一事件‐無罪とした原判決を破棄差戻し、第二事件‐無罪とした原判決を維持)の結論に影響しているだろうと思われる。また、例えばナチの*8十字といったものを想起すれば、このような象徴の持つ二面性は普遍的なものだといえるかもしれない。

*1:言論の自由を保障する

*2:ただし、相対多数意見は「一応の証拠」条項の部分についてのみ違憲とした

*3:O'conner判事が書いた法廷意見(これに四人の判事が同調)は、事案の概要を説明する第一章、十字架焼却の歴史を説明する第二章、ヴァージニア州法18.2-423の合憲性を具体的に判断する第三章(前段、合憲)および第四章(後段、違憲)、結論を短く述べる第五章から構成される。ただし、第四章・第五章に関しては、第三章まで同意した判事のうち一人が同調しなかったので、法廷の過半数を形成できず、相対多数意見となった。

*4:You Tubeで全編を見ることができる。http://www.youtube.com/watch?v=FbYXF5HmEds

*5:例えば、先の註でリンクしたYou Tubeのウェブページには、アップしたアカウントによるコメントが書き込まれているが、そこには"Controversially racist D.W. Griffith film""The families' servants epitomize the worst racial stereotypes""the slaves and abolitionists are blamed for it"といった表現が躍っている。そしてこれらの言葉は基本的に間違っていない。

*6:グリフィスは映画史が持った最大の巨匠の一人であり、現在に至る産業としての映画は彼の存在抜きには考えられない。グリフィス以後のすべての映画は、彼の影響下にあるといっても過言ではない。『国民の創生』はそのグリフィスの出世作であり、映画史上最初の超大作である。そのような作品が同時に人種差別主義に濃く染め上げられているという否定しがたい事実は、よく知られているがやはり大変なスキャンダルであり、映画産業の原罪といっていいと思う。

*7:レオ・フランクはユダヤ人の工場主だったが、アトランタの彼の工場で起きた少女殺害事件の被疑者とされた。起訴されたレオ・フランクは陪審により有罪とされ、死刑判決を下されたが、後に恩赦され終身刑となった。このことは反ユダヤ主義の蔓延する南部社会にすさまじい憤激を巻き起こした。レオ・フランクは収監されていた刑務所から拉致され、リンチを受け殺害された。しかも、後に明らかになったところによれば、これは全くの冤罪だったのだという。

*8:2月14日に誤字に気がついたので修正した